人体にある、わずか 7.5g を鍛えることで、
スポーツやビジネスのパフォーマンスが
向上し、見る力や判断力の改善、
認知症の発症抑制も期待されている
器官と機器がある。
その器官とは、目。
機器とは、目のトレーニングを目的に
作られたメガネ
「Visionup®(ビジョナップ®)」
(以下、ビジョナップ)だ。
一見、ただのサングラス。
しかし、その機能も、その誕生も、
それを取り扱う人の人生も、
ただものではない。
これはそんな「ビジョナップ」の誕生と、
未来の物語。
「いやぁ・・・これほどとは。本当に感謝しかありません」
生まれつきの弱視の改善になればと、小学校2年生から長女にテニスを習わせてきた父親がビジョナップの代表・田村に深々と頭を下げた。中1でビジョナップを使い始めてからぐんぐんと実力を伸ばし、中3の今では高校生と互角にラリーするまでになったという。
「最初は、スポンジボールさえろくに打てなかった娘が・・・」
「いいえ、お嬢さんの努力とコーチの指導、それにご両親の見守りの賜物ですよ。私にとっても格別のご褒美をいただいた気分です。自信を持ってたくさんのお子さんにビジョナップをお届けできます」
田村の言葉は大袈裟でもなんでもない。まさにそうとしか言いようのない数奇な道をビジョナップも田村も辿ってきたからだ。
もともと田村は、目のトレーニングには縁もゆかりもない機械メーカーの海外営業職だった。 訪問した国は33ヵ国、海外経験は通算17年にも及ぶ。ドイツに6年駐在しヨーロッパ諸国を担当、次にインド、パキスタン、バングラディシュの南アジアを開拓。
言葉も習慣も違う異国で苦労しながらも、何よりも優先してきたのが「取引先に喜んでもらうこと」。ヨーロッパでは最新の自動化機械で合理化と品質向上に寄与し、南アジアでは地域の事情に合わせて自ら提案した半自動化機械で大層喜ばれた。
「メルシー、タムラ」
「ダンニワード、タムラ」(ヒンディー語)
各国語の「ありがとう!」が重なるたび、魂が震えるほどの感動を覚えた。「人に感謝されるって、 なんて嬉しいんだ」
その原点は、小学校4年生の時に始めた新聞配達にまで遡る。
同じクラスの友達が親の仕事の手伝いで夕刊配達をして毎月のお小遣いを稼いでいた。
「格好いい!」
気づいた時は始めていた。小学生の新聞配達員。 珍しさもあってか、声をかけてくれる人は多かった。
ある夏の日、「毎日ご苦労さんやねぇ、ありがとう。 はい、これ飲んでいき!」。
差し出された冷たい麦茶のなんと美味しかったこと。
「人の役に立つと喜んでもらえて、自分も嬉しくなるんだ」
テレビ番組『兼高かおる世界の旅』が好きで海外での仕事に憧れた。高校で好きなサッカーをやめて英会話を勉強し、大学では ESS(英語勉強会)で5人制ディベートの全国大会に出場するほど力を入れ、 その延長で就いた海外営業職だった。
「サンキュー、タムラ」
「ドンノバード、タムラ」(ベンガル語)
どんどん増える「ありがとう」と共に経験したこと、それは外国と日本の、暮らし方や考え方の差だった。
日本では、残業して、飲みに行って、深夜に帰宅する毎日。ドイツ人は定時きっかりに退社し自分の時間や家族との時間を大切にする。個人主義が徹底しているように見えて、ベビーカーには前の人がドアを開けて待っていてくれた。困っている人には必ず温かい声がかかった。
インドでは、車・バイク・人力車・ラクダ・牛・ロバ・ヤギなどがぞろぞろ歩き回るその横で、人々は貧しくてもしたたかに助け合って生きていた。ここでも、困っている人には当たり前のように手が差し伸べられていた。
対して日本はちょっと違った。空港ターミナルの中でさえベビーカーでは通れない場所がある。困っていても先を急いでいる人たちが横を駆け抜けていく。
日本と海外を行き来するうち、ある考えが芽生えていた。
「どんな人でも夢に向かえる社会作りのお手伝いがしたい」
そんな思いが、40歳・不惑の歳の背中を押した。会社の看板ではなく、自らの手で誰かに感謝される仕事をしたい、と。いわゆる脱サラ。ブームもあった。
しかし、世間の風は甘くない。
黎明期のネット通販の仕事は2年で廃業。
雇われの身に戻っても志は止まず「ビジネスサポート」というネットサービスを始めた。その中に今のビジョナップとの出会い、愛知工業大学・石垣尚男教授からの“あるメガネ”の商品化の依頼があった。
教授は、「世界初のビジョントレーニング専用メガネ を世に出したい。これで多くの人が助かる」と言う。
先生を助け、商品にして届けることができれば、多くの人に喜んでもらえる!
天職が降ってきたと思った。
商品化を終え販売を担当することになった。「こんないい商品をありがとう。」というメールや電話が相次いだ。
一方で生来のチャレンジ精神は、早くも問題点を見つけていた。ガラス液晶であるが故の危険性だ。「このままでいいのだろうか?」
思い切って新モデルの開発に着手。世界で唯一の割れないフィルム液晶メーカーを見つけ、掛け心地の良いフレームを模索し、クラウドファンディングで資金を調達し、着手から3年目、やっと販売にこぎつけた。
「さぁ、これで!」となった矢先、突然、生産委託先が事業停止。
必死に再生産を試みるが万策尽き、重い足取りで石垣先生を訪ね、告げた。
「会社を整理しようと思います」
重苦しい空気だけが流れる中、散り始めた桜を見ながら先生が呟いた。
「せっかくここまで来たんだから何とかならないでしょうかねぇ・・・」
その一言が、頭の中でこだました。
「そうだ、挫けてる場合じゃない。もう失うものは何もない。やれるところまでやってみよう」
捨てる神あれば拾う神あり。液晶メーカーの復帰、金融機関からの追加融資、スムーズな部材調達など、半年たらずで自社ブランドの販売に漕ぎ付けた。一度離れたメーカーとの復縁など、あり得ないことの連続は、見えない力に守られ後押しされているようだった。
快進撃が始まるはずだった・・・のだが、プロスポーツ界は効果が出るほど秘密兵器扱い。日本には“目を鍛える”という文化がない上、北米や欧州ではあたりまえの目についての専門職・オプトメトリスト(検眼士)という国家資格もない。さらにビジョントレーニングについて異を唱える医療関係者も少なくない。
三重苦の中で、脳裏に浮かんだのは、重い夕刊の束を嬉々として担いでいた小学生の自分。気持ちを切り替えた。
奇しくもコロナ禍が、ビジョナップにフォローの風を送った。
コロナ禍で教育現場に浸透するオンライン化や、デジタルネイティブと持て囃される子供たち。短い距離でほとんど目を動かさない時間が増え、幼少期に不可欠とされる外遊びの時間は減り、子どもたちの健全な成長が懸念される。その事象は、世界中でほぼ同時的に進行している。日本の今はアメリカの5年前かもしれないし、途上国の5年後かもしれない。
また、高齢ドライバーの重大事故も増えている。目の衰え、例えば視野角や距離感の低下は、判断の遅れを生じ事故につながりやすい。一方で免許証を返納してしまうと心身の衰えが加速するとも言われる。移動の足の確保という点からも見る力を維持してもらうことは喫緊の課題だ。
トップアスリートに限らず子供から大人まで目と脳を鍛えることで叶えられることは多い。
初めてビジョナップのプロトタイプを掛けてみた日のことを、田村は忘れない。
「まるでウルトラマンみたいだ」
鏡に映った自分が、あの地球を救ったウルトラマンに見えた。
「そうだ、自分はこのメガネで世界中の人の目を救うんだ。このメガネで、スポーツをする人にも、子供たちにも、お年寄りにも、喜んでもらうんだ」
「デザイン・ミュージアム(英国ロンドン)」から打診があり、2022年春に開催されるサッカーがテーマの特別展でビジョナップが展示されることになった。ビジョナップが役に立てるフィー ルドは日本だけでなく世界に広がっている。
一抱え 5kg の夕刊が減っていく毎に増えた笑顔、
一つ30gのメガネが出荷されていく度に増える笑顔。
「どんな人もその人の個性・特性を活かして生きられる、そんな社会を作りたい」
進む先にある光は、50年前も今も、変わらない。